前回の後日談……
Bradburyらの2009年の論文(参考文献)を読んでみたのですが、それによると未去勢犬の前立腺腫瘍に対する、石灰化の感度は66.6%、特異度は77.4%となるので、約66%の確率なのではないでしょうか。意外に低いですね。
その通り・・・と言いたいところですが、そうではありません。実は、その論文の情報だけでは、確率を計算することはできないんです。
そうなんですか!?もっとたくさんの論文を読めということでしょうか?
もちろん、多くの論文を読むことは大事ですが、そういうことではないです。その確率を計算するためには、感度、特異度に加えて、その疾患の有病率(ある一時点において、集団内でその疾病を有している患者の割合)が必要です。詳しい説明は省きますが、たとえばある疾患に対する感度99%、特異度99%の検査があったとします。その疾患の有病率が0.1%である場合、検査陽性者の中で本当にその疾患である患者の割合は、約1%となります。
陽性100例のうち、たった1例ですか?ちょっと信じられないですが・・・。
そのくらい有病率に左右される、ということは知っておいてください。いちど自分で計算してみると理解しやすいですよ。
では、未去勢犬の前立腺癌の有病率はどのくらいなんですか?
残念ながら、獣医学領域では特定の疾患の有病率に関するデータはほとんどありません。なので、その質問に対しては、有病率はわからない、というのが答えです。
えー、それじゃあ確率なんて応えようがないじゃないですか。
実は有病率が分からなくても、感度と特異度から尤度比(ゆうどひ)を算出して、その疾患の確率を推定することは可能です。
尤度比、ですか。
尤度比には、“有病者が無病者と比べて何倍検査陽性になりやすいか”を表す陽性尤度比と“有病者が無病者と比べて何倍検査陰性になりやすいか”を表す陰性尤度比があります。
それを使って具体的にどうやって確率を推定するんですか?
前立腺疾患疑いの未去勢犬を診察している場面を想像してみてください。まず、問診や身体検査の結果から、その犬が前立腺癌である確率が30%くらいだと考えたとしましょう。これを事前確率とします。 その後の画像検査で、石灰化が認められたとします。先ほどの論文の感度、特異度から、石灰化の陽性尤度比は2.95であることが分かります。この陽性尤度比と事前確率から、検査陽性と判明した時点での前立腺癌の確率を推定できるのです。詳しい計算は省きますが、このケースでは、事後確率は約56%となります。つまり、画像検査で石灰化が認められたことで、その犬が前立腺癌である確率が30%から56%に上昇した、ということになります。
検査が陰性だった場合は、どうなるのでしょうか?
その場合は陰性尤度比を用います。先ほどの論文から陰性尤度比は0.43であることが分かっています。陰性尤度比と事前確率から、事後確率を求めると約16%になります。つまり、画像検査で石灰化のないことが確認されたことで、その犬が前立腺癌である確率が30%から16%に低下した、ということになります。
具体的な数値にすると検査の意義が理解しやすいです。これまでは検査の感度や特異度ばかり気にしていましたが、それ以上に事前確率が重要だということですね。これからは、画像検査に入る前に、事前確率を推定する癖をつけたいと思います。
よい心がけですね。事前確率の推定はかなり奥が深いので、臨床推論の本をいくつか読んでみるといいでしょう。
ところで去勢雄についてですが、先ほど陽性尤度比を計算してみたところ、無限大となりました。特異度が100%なので当然といえば当然ですが、去勢雄の前立腺に石灰化が認められた場合は、前立腺腫瘍と断定してしまってよいものでしょうか?
よい質問ですね。たしかに去勢雄の前立腺に石灰化が認められた場合、前立腺腫瘍の確率は極めて高いといえますが、例外もあります。
どういった場合でしょうか?
中齢以降に去勢手術がなされた場合です。前立腺炎や前立腺膿瘍などの治療を目的として、中〜高齢になってから去勢手術を行うことがありますが、術前にあった石灰化が術後に残存することがあります。また、前立腺自体も去勢手術によって萎縮しているとはいえ、若齢で去勢された犬と比べると大きい傾向にあるため、きちんと問診をしておかないと、前立腺腫瘍と誤診されてしまう可能性があります。
先ほどの論文は、前立腺の細胞診または病理組織診断がなされた症例が対象でしたので、選択バイアスがかかっているということでしょうか。
そう考えるのが妥当だと思います。例外として挙げたような症例の多くは、別の疾患に対する検査の際に偶発的に前立腺の石灰化が認められるなど、前立腺に関連する症状のないことが多いです。そのような症例に対して、侵襲を伴う生検をするということは、あまり考えられないですよね。
同じような症例に遭遇した場合には、問診をしっかり行うとともに、必要に応じて、超音波検査などで経過観察をしたいと思います。
文献リスト
- Bradbury CA, Westropp JL, Hecht S, Pollard RE.” Relationship between prostatomegaly, prostatic mineralization, and cytologic diagnosis “Vet Radiol Ultrasound. 2009.50(2):167-71.
前立腺の石灰化が今回の重要なポイントでしたね。ところで、画像診断で未去勢犬の前立腺に石灰化が認められた場合、その症例が前立腺腫瘍である確率はどれくらいだと思いますか?